日々精進

毎回、教室には初めての方がお見えになります。

そして、必ずその方々に1人ずつ気を送って体感してもらいます。

その場合すぐに反応が表れて、コロコロと転がる人、まったく反応がない人、など結果は千差万別です。

そしてまったく反応のない人がきまって言う言葉は「どうして私はかからないのでしょうか?」

必ず、かかる、かからないというとらえ方をします。
催眠術でありません、テレビのパフォーマンスのように、かかる、かからないというような事ではありませんと、いつも説明をします。
つまり、私が送った気に対して現象が表れたか、表れなかったという事だけです。

一回で現象が表れなかったといって、肩を落とされ残念そうな顔をされますが、デパ地下の試食品を一口食べただけで、その物の持つ本来の味がすべて分かるものでしょうか?

そして、不思議な事にこの傾向は女性よりも男性に多く見られ年齢にも関係するようです。
特に男性の場合、女性と比較してどうしても本能的に身構えてしまうような気がします。

ましてや、初対面でありみなさんの見ている場ですから、そうそう簡単にリラックス出来ないのでしょう。

誤解してほしくないのは、だからといって性格が素直だとかそうでないとか、そんな問題ではありません。
どれくらい、瞬時に心と身体を緩める事が出来るかという事です。
その証拠にこのような男性も何回か時間をかけるごとに、心と身体が緩み反応が表れその結果コロコロと転がっていくようになっていき、その方たちが今度はいつの間にか人をコロコロと転がす事ができるようになっていきます。

しかし、人を転がすというのはあくまで枝葉末節の話であり、目指すところはもっと、もっと高く崇高なところにあります。

肉体の訓練ではありません、心の修行であり、毎日毎日が精進です。

淡々と

昨日の福岡教室には肋骨にヒビが入り、傷めている方を下にして寝たら痛くてたまりませんと、いう男性の方がこられました。

ある程度、話を終えた頃彼にみなさんの前に出てもらい、その痛い部分に気を送りました。
そして、2分ほど経って「ハイ、終わりました」と言うと、彼はその後体をひねってみたり、痛かったほうを下にして寝てみたり、いろんな動作をしていましたが、「痛くないです」と、笑顔でこたえてくれました。

教室ではいつもの光景なので古い生徒さんは何の反応もしませんが、新しい生徒さんは感動して拍手をくれます。

しかし、どのような素晴らしい現象が目の前で起きても驚かないくらい、つまりその事が当たり前になるくらいに自分自身のレベルを高めていただきたいというのが私の願いです。

自転車に乗れるからといって、感動する人はいないはずです。
なぜなら、それはいつも乗りなれている人にとっては当たり前のことですから、それと同じくらいにどのような劇的な現象が起きても、一喜一憂することなく常に動ぜず淡々と実践出来るようになると、もっともっと自分自身が高揚していくのではないかと、私は常々そのような考えを抱いているのです。

つまり、日々精進する事でより高いところを目指すのです。

みなさん、共に上を目指し心身ともに向上していきましょう。

 

天の教科書

膝の痛みが一気に解消いたします。

それは、膝のある部分に気を送るとあれほど痛かった痛みがうそのように消えるのです。

しかし、これをみなさんにお教えしたいのですが、活字では伝わりません。
やはり、そういう意味で活字というのは限界があります。

肩こりを0.5秒でとってしまう方法や、相手の力を一瞬で抜く方法など教室ではいろんな方法をみなさんにお伝えしています。

私は、師匠はいませんし、誰の教えを受けた事もなく中国に勉強に行ったことなどありません。

本に書いたように、毎晩天の教科書をめくりながら学んできました。

そして、その中からたくさんの秘訣を得る事ができました。

みなさん、毎晩頭の中を空の状態にして天の教科書を開いてください。
どなたでも、ある時必ずひらめきが訪れます。
そして、あせらず、急がず、しっかりと腰を据えてその時を待ってください。
いつの日か、宝くじが当たります。

「継続は力なり」

手から気を出す

おかげさまで「空の会」は全国ネットなので事務所には毎日の如く日本各地からのお問い合わせをいただき、各教室には毎回全国各地からのご参加をいただき活況を呈しています。

北海道から、秋田から、仙台から、青森県津軽から、高知から、松山から、徳島から、小豆島から、鹿児島から、宮崎から、沖縄から、はてはロスまで、教室では月に一度ではありますが、各地の独特のやわらかい方言に触れ毎回暖かい空気を感じ、教室終了後には何とも言えないホットな気持ちで再開を約束して散会します。

気の勉強もさる事ながら、通常では中々ご縁のない地方の方々と友人になれる格好の場です。

私は、福岡県の飯塚なので飯塚弁です。
博多弁とは若干違います。
福岡教室では飯塚弁丸出しです。

みなさんも、一度是非福岡教室に参加してみませんか!

教室ではこんな具合です。

「みなさん、どげんですか?毎日やりよるですか?手から気が出らな癒しとかなんとかできんとですよ、いつも私が言いよるごとちゃーんとしよるですか?ちゃーんとしよるか、しよらんか、いっちょんわからん、やっぱ普段から努力せんかったら、結果はでらんですよ、まー継続は力やけんですね、続けてやりよったら、いつかはものになるとですよ、ばってん、いつなるかちいわれてもそげんこたわからんですよ、そげん月に1回それも2時間教室で勉強したっちゃ気を習得するちゅうとは簡単にはいかんくさ、問題は来月の教室までにどげな事をしたかですよ、まー気の習得っちゃ、そげんあもないですよ、ばってん、又あんまり厳しい事ばっかい言うたら、すぐはらかいてこんごとなるき、むつかしいっちゃねー、ばってんちいったきびしせんとものんならんとよ」というような具合いです。

みなさんおわかりでしょうか?

地元の福岡教室はNHKの日本紀行みたいなもんです。
東京教室をこのまんまのノリでやったら面白いだろなあと、思いつつちょっと書いてみました。

要約すると、とにかく手から気が出ない事には癒しも何もできません、という事なのです。
手から気が出る、これが簡単なようで大変難しいのです。
先ず、レモンで試してください。
レモンに気を送って、グレープフルーツになったら大成功です。

そして、今度は次のステップです。

久しぶりの我が家です。

今日は、久しぶりの我が家のマイルームからの書き込みです。

新幹線で窓の外を見ていると広島あたりから徐々に雨模様になり九州に近づくにつれ雨足が強くなって参りました。

博多駅で新幹線から在来線に乗り換えたら、もう夕方なので女子高生たちの下校の時間帯と一緒になり、久しぶりに聞く彼女たちの九州弁が耳に心地よく伝わってきました。
「あんた、今度の日曜日くさあ、どげんすると?」「先のことはわからんばい、あんたは、どこ行くつもりしちょとー?」「映画がよかー?ボウリングがよかー?」「うちはどげんでんよかばい」「ばってん、そげんお金持たんばい」「そんなら行かれんやんね!」

毎日、旅先では京都弁、大阪弁、江戸弁、みゃーみゃーの名古屋弁、栃木弁、武士の一分の山形弁、等々日本全国の色々な方言を耳にし、時々生まれついての九州弁がわからなくなってしまいます。

博多駅に降り立った時の女子高生の、九州弁が何ともさわやかに心地よく耳に入ってきてとても新鮮でした。

石川啄木の歌にこんなのがありましたね。

「ふるさとの、なまりなつかし停車場の人ごみの中にそをききにゆく」

これは東北、北陸地方から上野駅に到着した乗客の会話の中になつかしいふるさとを思い浮かべた歌です。

がらにもなく、フッと俳人にでもなったような気分でした。

九州に戻ると今度は京都の事が思い出され、こんな写真を載せてみました。

これは、銀閣寺のそばにある、私のお気に入りの「みのり」という、おそばやさんの前にいつもおいてある、「みのり」のお嬢ちゃんの愛車に勝手にまたがっているところです。

このチャリンコで京都中を乗り回したら、さぞかし時間がかかることでしょうね(笑)

いつも、おふざけで失礼致しました。

 

 

サンマ談義

 

24日の朝9時半にHPを開いた時は、アクセス数が 276437でした。
夜11時半に、私が開いた時点で 276590です。
今日は、一日で 153回 開いていただきました。
この数字は私にとって、心の励みです。
みなさん、ありがとうございます。

これからも実のある書き込みを続けてまいりますので何卒よろしくお願い致します。

早速、帯広のSさんからアドバイスをいただきました。
「サンマは炭で焼くのが一番うまいんだよ」と。

勿論、サンマは炭で焼くのが一番です、実は炭も七輪もちゃんと準備はあるのです。
しかし、以前一度裏庭でサンマを炭で焼いたところ、さんまの油ですごい煙に包まれ隣近所から消防に通報されるのではないかというくらい、えらい事になってしまい大慌てした苦い経験があります。

以来、まったく不本意ではありますが、ガスコンロの上にアルミホイルを敷き油が直接炎の上に落ちないように気を使いながらサンマを焼いているのです。

サンマを焼く時、このやり方はまったくの邪道なのであります。

ここは、何の不満もない素晴らしい環境なのですが、
しかし、サンマを焼くには街の中で住む者の悲しい環境なのです。

みなさんのお家ではサンマはどうしておられますか?
それにしてもサンマで芋焼酎を一杯、うーん、たまりません。

私は魚が大好物なのですが、九州では新鮮なアジの刺身イワシの刺身、これは鯛やヒラメに決してひけをとることはありません。

みなさん、九州に来られたら是非、新鮮なアジ、イワシを召し上がって下さい。

 

極意は継続

昨日、レモンの味を変えるという事を書きました。

今日、早速広島のTさんからレモンはもちろん、醤油の味が変わったと報告がありました。
炭酸は気が抜けたそうです。
タバコはニコチンが抜けて紙だけを吸っているようだと友達に言われたそうです。

素晴らしいです。

とにかく理屈抜きです。
毎日毎日実践する事です。
極意などありません。

「継続」が最大の極意です。

癒しをするにしても何をするにしても、とにかく気が出なければそれから先には進みません。
気が出てるかどうか、一番簡単な方法はレモン、醤油、ワサビの味を変える事です。

空ショップで御案内している、パートナー「特許申請中」では気の出具合がはっきり分かります。

私は今のところ2メーターの距離から気を送ると円盤がゆっくりとまわり始めます。
これが3メーター、5メーター、10メーターと距離が延びていけば、これこそが遠隔治療につながっていくのです。

みなさん、日々継続してください、そしてある日大感動を味わってください。

写真は我が事務所の裏庭で大好きなサンマを焼いているところです。
私は肉が苦手で魚が大好きです。

ある日の夕食です。
近くのスーパーに夜の惣菜を買いに行き好物のサンマで焼酎を一杯。
まさに至福の時であります。

京都のうなぎの寝床のような事務所の小さな坪庭に満開に咲いたどくだみの花に囲まれて、のんびりと焼酎の肴のサンマを焼きつつ頭の中は空の状態でありながら、意識はサンマの焼け具合に集中しています。

つまり頭の中は「空」の世界と「食う」の世界に支配されているのです。

まさに空の世界と現実の世界を行ったり来たり頭の中は忙しくなっているのです。

日ごろの親父の生態系を恥ずかしながら、ちょっと公開しました(笑)

 

 

思う心

私はこの世の中に「幸、不幸」というものはなく、そう思う心があるだけだと思い、すべての事は自分の心が決めるのだと思っています。

良きにしろ、悪しきにしろ全ては自分の心が決めるのです。

よく、緊張を克服したい、その為にはどうすればいいのでしょうか?と、質問があります。
では、こうすれば緊張しなくなりますよなどと、そんな簡単な答えはありません。

ではなぜ緊張するのでしょうか?

それは、失敗を恐れる心や、完璧にやろうという心や、かっこよくやろうという心があるからではないでしょうか?

人前でしゃべる時にはみんなの顔をカボチャと思えなどと言われますが、そんなあまいものではありません。

私の経験から言って答えはひとつ、それは慣れです。

つまり、場数を踏む以外にはありません。

人間は回数を重ねると必ず慣れてきます。
そして、初心者から研修期間を終えると何事にも緊張しなくなるのです。
そして、これは誰でもあてはまる事で初めっからたくさんの人前で流暢にしゃべれる人はいないと思います。

つまり自分の脳を学習させるのです。

しかし、その学習の前にもっともやっかいな障害が立ちはだかっています。

それは、失敗を恐れる弱い心です。
そして失敗を恐れるためにどうしても逃げに走ります。

若い時だったらいくら失敗を重ねてもまわりが許してくれます。
しかし、若い時からずっと逃げの人生を送っていたら、まわりが許してくれるタイミングをのがしてしまい、後々、歳がいけばいくほど辛い、悲しい、情けない舞台を味わう事になるのです。

「世の中には全てに時がある」と本にも書きましたが、この絶妙な時というものを見逃さないためにも常に心は前向きで肯定的でなければいけません。

そして、何事にも絶対に逃げてはいけません。

長い人生の中でももっとも大きな試練、それはいつの日か必ず訪れてくる息子の結婚式の新郎の父親の最後のご挨拶。
その時だけ何とかうまくしゃべれるようなスイッチを入れて欲しいと、今まで何度も相談を受けました。

今まで色んなスイッチをオンにしてきましたが、「泥棒を見て縄をなう」という格言のようににわか作りのスイッチは入りません。

実はこのようにひそかに悩み苦しんでおられる方がたくさんおられます。

それにしても「緊張」、この脳のいたずらに苦しめられている人々がこの世の中にはいかに多い事か、いまさらながら気の毒な事だと思っています。

1人でも多くの方がこの迷路から抜け出せるようなんとかお力になりたいと願っています。

地方にお住まいの方からこんなお話を聞きます。

それは教室で実際に見た事や体験した事を、地元の人達にいくら熱弁をふるい口角泡をとばしても全く通じず、「そんな事が本当にあるのだったら医者なんかいらんだろう」と言われたり、挙句の果ては変人扱いされたり、最近は変な宗教にはまってるらしいと、言われる始末です。

そして、そのたびに何度悲しい思いをしたものかと・・・

教室で行っているような現象は、地方に行けば行くほど理解出来ない事なのです。

以前、秋田の方が教室に来られ地元で空の会でいつも行っている実践の話をしたら「おめーあだま、おがすぐなったんでねがー」と言われ情けないですと、おっしゃってました。

訳すと「お前、頭おかしくなったんじゃないか」という事です。

しかし、ここ一番という時には神頼みをするのです。

どこか矛盾さえ感じます。

「人に伝える」、大変難しい事です。

「馬の耳に念仏」という格言が頭をよぎりました。

 先日から、教室でレモンの味を変える実験をやっています。

教室のみなさんに味を変える事が出来たら報告してくださいと、お願いしていますが、いまだ何の報告もありません。

やはり、難しい事なんでしょうか?

今も楽しみに待っているところです。

 

常識を変える

 

1昨日の新宿教室に1週間前に尾てい骨を骨折し痛くてたまらないので、助けて欲しいと、いう若い女性がこられたという話を昨日書きました。

彼女に了解を得たうえで尾てい骨の一番痛い場所に直接気を送りました。

約3分後に「えーっ、痛くないこれって一体何なんですか!」と驚嘆の声をあげました。

そして、教室が終わった後普通どおりに歩いて帰りました。

今朝、その彼女から事務所に電話があり「あれ以来まったく痛くありません、又何かの時にはよろしくお願いします」とお礼の電話がかかってきました。

「病院はどうするのですか?」と聞くと「もう用事がないので行きません」という返事でした。

病院では治るのに1ケ月はかかると言われたそうです。
これが医者の常識です。
病院では1ケ月、空の会では3分です、単なる常識が違うだけの事です。

本にも書きましたが、常識を変えるのです。

特別な事ではありません、超能力でもなく特殊能力ではありません。
今迄の常識を根底から変えるのです。

しかしながら、永年こんな事をやってきましたが、残念な事に中々広がりがありません。

その理由は何かというと体験した本人がまわりに声を大にして叫んでも信じてもらえず、ついには悲しくなって、もう言いたくないと口をつぐんでしまうのです。

こんなすばらしい世界、どうして分かってもらえないのか、どうして信じてもらえないのか、私自身いつもじくじたる思いが募り、常に不完全燃焼の毎日です。

教室には治療家の方がたくさんこられます。
治療院で施術が終わった後に患者さんに「いかがでしたか?」と聞くと「はー、気持ちが良かったです」との返事がくると言われます。

それまでに約40分から50分の施術、自分の身を呈しての治療です。
本に書いたように私が気を送るのはだいたい平均的に30秒前後です、骨折の3分は長い方です。
そして、終わった後に「どうですか?」と聞くと「はい、治りました。痛くありません」という返事、「気持ちが良かった」という返事は返ってきません。

なぜなら、気持ちを良くしているのではなく、痛くなかった元に戻しているのです。

教室に来ておられる治療家のみなさんに是非このすばらしい世界を伝えたいのです。

空の会では一般の教室の他に「プロ実践講座」という特別講座を開催しておりそこでは、プロの方たちのレベルアップを図る為に中身の濃い学びを行っています。

 

人生の仕事

私は数年前に何年か、かかって浄土真宗住職の資格をいただきましたが、まだ葬儀を仕切った事がありません。

これから、葬儀の実技も見習いで習得しようと思っています。

というのは、以前教室のある方と食事をした時の事です。
「先生、自分の最後を送ってもらえませんか?」
唐突に言われたその方の言葉に触発されたのです。

もちろん、その方を必ず送れるという保証などありません。
逆にその方に送っていただく事になるやも知れないのですから。
生きていれば順番など関係ありません。

しかし、自分の読経で友やご縁のあった方を送る、考えたらすばらしい事だと思いました。

その方のひと言に心より感謝しています。

よくよく考えてみると、私は二つの受け皿を持っています。
今は医者から見放された人をなんとか救いたいと日々精進している自分。
もうひとつは医者が身捨てたものは坊主の仕事という自分。
形こそ違えど人様のお役に立てるという、この事にたずさわれる自分の立場がなんと有り難い事かと感謝の日々であります。

ある時、その方から「あなたはおくりびとだ」という事を言っていただきました。
写真は、映画おくりびとで「山崎努」さんが、フグの白子を食べているセットです。
もちろん、フグも作り物です。
山形県酒田市の撮影現場で撮ってきました。

もう一枚は葬儀社の事務所の玄関です。
2枚の写真の場所は現在酒田市の観光名所になっておりたくさんの人が訪れています。

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