私はこの世の中に「幸、不幸」というものはなく、そう思う心があるだけだと思い、すべての事は自分の心が決めるのだと思っています。
良きにしろ、悪しきにしろ全ては自分の心が決めるのです。
よく、緊張を克服したい、その為にはどうすればいいのでしょうか?と、質問があります。
では、こうすれば緊張しなくなりますよなどと、そんな簡単な答えはありません。
ではなぜ緊張するのでしょうか?
それは、失敗を恐れる心や、完璧にやろうという心や、かっこよくやろうという心があるからではないでしょうか?
人前でしゃべる時にはみんなの顔をカボチャと思えなどと言われますが、そんなあまいものではありません。
私の経験から言って答えはひとつ、それは慣れです。
つまり、場数を踏む以外にはありません。
人間は回数を重ねると必ず慣れてきます。
そして、初心者から研修期間を終えると何事にも緊張しなくなるのです。
そして、これは誰でもあてはまる事で初めっからたくさんの人前で流暢にしゃべれる人はいないと思います。
つまり自分の脳を学習させるのです。
しかし、その学習の前にもっともやっかいな障害が立ちはだかっています。
それは、失敗を恐れる弱い心です。
そして失敗を恐れるためにどうしても逃げに走ります。
若い時だったらいくら失敗を重ねてもまわりが許してくれます。
しかし、若い時からずっと逃げの人生を送っていたら、まわりが許してくれるタイミングをのがしてしまい、後々、歳がいけばいくほど辛い、悲しい、情けない舞台を味わう事になるのです。
「世の中には全てに時がある」と本にも書きましたが、この絶妙な時というものを見逃さないためにも常に心は前向きで肯定的でなければいけません。
そして、何事にも絶対に逃げてはいけません。
長い人生の中でももっとも大きな試練、それはいつの日か必ず訪れてくる息子の結婚式の新郎の父親の最後のご挨拶。
その時だけ何とかうまくしゃべれるようなスイッチを入れて欲しいと、今まで何度も相談を受けました。
今まで色んなスイッチをオンにしてきましたが、「泥棒を見て縄をなう」という格言のようににわか作りのスイッチは入りません。
実はこのようにひそかに悩み苦しんでおられる方がたくさんおられます。
それにしても「緊張」、この脳のいたずらに苦しめられている人々がこの世の中にはいかに多い事か、いまさらながら気の毒な事だと思っています。
1人でも多くの方がこの迷路から抜け出せるようなんとかお力になりたいと願っています。
地方にお住まいの方からこんなお話を聞きます。
それは教室で実際に見た事や体験した事を、地元の人達にいくら熱弁をふるい口角泡をとばしても全く通じず、「そんな事が本当にあるのだったら医者なんかいらんだろう」と言われたり、挙句の果ては変人扱いされたり、最近は変な宗教にはまってるらしいと、言われる始末です。
そして、そのたびに何度悲しい思いをしたものかと・・・
教室で行っているような現象は、地方に行けば行くほど理解出来ない事なのです。
以前、秋田の方が教室に来られ地元で空の会でいつも行っている実践の話をしたら「おめーあだま、おがすぐなったんでねがー」と言われ情けないですと、おっしゃってました。
訳すと「お前、頭おかしくなったんじゃないか」という事です。
しかし、ここ一番という時には神頼みをするのです。
どこか矛盾さえ感じます。
「人に伝える」、大変難しい事です。
「馬の耳に念仏」という格言が頭をよぎりました。
先日から、教室でレモンの味を変える実験をやっています。
教室のみなさんに味を変える事が出来たら報告してくださいと、お願いしていますが、いまだ何の報告もありません。
やはり、難しい事なんでしょうか?
今も楽しみに待っているところです。