前回、命について述べました。
いつかは、くるお迎え。
それを知る人はいません。
今日なのか明日なのか。
しかし生きていれば必ず最後の時がやってきます。
『今を生きる』
以前、人間にも四季があると述べました。
10代は春です。
春の山野草にはアクがあり食する前にあく抜きをしなければなりません。
青春時代のニキビと同じです。
20代から30代は夏です。
エネルギーに満ち溢れ、食物では最高の食べごろです。
そして40代から50代は秋です。
そろそろ盛りも過ぎ秋風が身に沁みるようになってきて
若き日のエネルギーにも陰りが見え始めます。
その昔、織田信長が人生50年という言葉を残しています。
この年齢でプロのアスリートは、ほとんどいません。
そして60代以降からは冬の季節に入っていきます。
寒さを耐えながら人生の終末を迎えるのです。
私も自分自身を振り返ってみて旬の時期がありました。
後は惰力で終末を迎えなければいけません。
今日、古くからの友人で温泉ホテルのオーナー夫妻を訪ねてみました。
友人は私と同じ年ですが3年前に社長の座を息子に譲り現在は病気療養中で
ホテルにはいませんでした。
女将は足が悪く部屋から出る事が出来なくて電話で話をしましたが
顔を見れないのが残念だと悔しがっていました。
身体に気をつけるようにと言い残してホテルを後にしましたが
帰る道すがら今までの思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡り
もう会う事もないだろうなあと心の中に冷たい風が吹き抜ける気がしました。
人は別れ際に決まって、じゃあ又!
と言います。
しかし、又というのはありません。
『一期一会』
今日を、そして今を大切にしたいものです。
最近『運』という事について考えるようになりました。
飯塚出身の某大臣は炭坑王の孫に生まれ何不自由のない幼少年期を
過ごし若くして国会議員になり総理まで登りつめました。
同じ飯塚に生まれ何不自由ばかりの幼少年期を過ごした私と何が
違うんだろうかといつも思います。
つまり、これが『運』という事なんだろうなあと思っています。
人間は生まれたときに、その人が背負えるだけの運が用意されており
文句を言わず不平不満を言わず最後の時まで全うしなければなりません。
教室の内容も日進月歩、日々変化を遂げています。
今まで相手に気を送る時は消防の放水銃のように気を送ると
言ってきましたが今は大きな気の玉を相手の頭の中にドーンと入れると
仮死状態のようになり覚醒したときは体が大きく変化しているという事に
気がつきました。
つまり体が生まれ変わったような感じになるそうです。
そして仮死状態の時には、どこか遠くに行っているような気がすると
皆さん口を揃えて同じ感想を述べます。
今月はもっと進化した講義を行います。
何だか海を見たくなって行ってきました。
平日でしたが夏の海なのに人っ子一人いませんでした。
ここにも過疎化が進んでるのかなあと思いました。