気を取り込む

教室に通って学んでおられる方々もずいぶんレベルアップして、色んな癒しが出来るようになってこられました。

しかし、大人数に気を送ったり重病の人に気を送った翌日から、1週間寝込んだとか3日間起き上がれなかったとか、体調が悪くなったとかいう方が稀におられます。

本に書いたように商品を販売するためには、まず仕入れをしなくていけません。
売るのはいつでも、誰でも出来ることです。
最もたいせつなのは、仕入れです。
そして、倉庫をいつも商品で満杯にしておかなくてはいけません。

気を送った後に寝込むというのは、商品の在庫がなくなって受注に応えられず、クレームに悲鳴をあげているのと同じ状態なのです。

気を出すのはさほど難しい事ではありません。
難しいのは、いかにして気を取り込むかという事です。

そして、いつでも体中に気が満ち溢れてなくていけません。

写真は京都教室の風景ですが、このように私とみなさんとが気の交流をはかり、常に気で満たされる状態を学んでいます。

リスク

お盆も今日で終わりです。

お盆が過ぎると朝夕は涼しくなってきます。
四季のある日本はすばらしいです。

先日、ある方から友人の事で相談がありました。
その内容というのは、その友人が最近頸椎に痛みが走るようになり、医者に診てもらったら手術を勧められたのでネットで名医という医者を探し、その医者に手術をしてもらったそうです。

手術が終わり、さあ動こうと思ったら両方の手はしびれ、下半身はまったく動かなくなってしまったそうです。
医者は「これからリハビリを頑張ってください」というだけでそれ以上の指示はなかったそうです。

それでその友人の身体は何とか元に戻す事が出来ないでしょうかとの事でした。

足にさわってみて痛覚があれば、のぞみがありますが痛さなどをまったく感じなければ残念ですが、手の施しようがありませんと、お応えしました。

手術というのはこのように大きなリスクを背負います。
そして、手術の前には必ず同意書というものを書かねばなりません。

もちろん選択するのは患者本人なのですが・・・

新幹線での移動の時には必ず車窓から富士山のエネルギーを頂きながら移動します。
夏の富士山は頭に白い物がありません、でも後ひと月もすれば白い帽子をかぶります。

観の目

私の本の中の一節にこのような記述をしています。

『肉眼で見てはいますが、実は「観の目」で見ています。この「観の目」で見るというのは仏様の眉間のところにある、いぼのようなものを白毫というのですが、そこからエネルギーが出ているような意識で気を送るということなのです。』

いつも教室で相手の気を抜くと力が入らなくなるという実験をオーリングでやりますが、その気を抜くというのが、ここなのです。

天目とか第三の目といわれる場所です。

又、ここは人間の急所でもあります。

ここから相手の方に気を入れたり抜いたりします。
もちろん、自分自身の気も入れたり出したりします。

私は、ここを意識すると指で押されるような圧とムズムズしたものを感じます。
軽く目を閉じここに意識を持ってきてください、もちろん人それぞれに感じ方が違うと思うので、あくまでも私の感じ方というのは参考です。

気の修練の場

今日は福岡県甘木市にある筑前の小京都と呼ばれる秋月の風景をカメラに収めてきました。

福岡の黒田藩ゆかりの秋月藩の城下町です。
今でも、城下町の街並みと雰囲気が残っていることから、平成10年4月に国指定の重要伝統的建造物群保存地域に選定されています。

実は、気の世界に身を投じて以来、ここの神社に足しげく通いました。
自宅からは車で1時間ほどかかるのですが、いつの時でも静寂と厳かな空気に引き寄せられ足を運びました。
特に写真の楠の大木からの気を感じ、そして耳を澄まし声なき声に心を研ぎ澄ましてきました。

写真から気を感じていただければ嬉しいです。

実は、もう一箇所の修練の場は福岡県添田町にある修験道の山「英彦山(ひこさん)」です。
秋口にこの二つの修練の場にみなさんをご案内したいと考えています。

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気の極意
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「気」を自在に使いこなす
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