10年ほど前に空の会のみなさんと屋久島に行った時の事です。
名前は忘れましたが、当地でも観光スポットになっている大きな滝に行き、その滝をバックにしてみなさんに気を送り、みなさんがその気を写真に収めてくださっていた時の事です。
私が立っていた岩場はちょっと高い所にあり、足場が悪く不安定な状態の上、おまけに水しぶきで岩が濡れていて、これは危ないなと思った瞬間バランスをくずしてしまい足をすべらし、岩と岩の間に頭からまっさかさまに転落してしまいました。
一瞬の事で私は何が起きたかわからず、みなさんは眼前から一瞬にして私の姿が消えたので大騒ぎになった事がありました。
転落した所から這い上がってくる時に、こんな所でケガでもしたらみなさんに多大なるご心配とご迷惑をかけると、その事ばかり考えながら必死で元の位置に戻りました。
そして、恐る恐る自分の全身の点検をしたところ、キャップをかぶっていたので、それに防護され幸いにも頭のてっぺんにちょっとかすり傷をおっただけという、奇跡的に助かりみなさんが大安心してくれました。
しかし、手にしていたカメラは衝撃で元の形は無く、使い物にならなくなっていました。
この奇跡的な結果にこの時ばかりは、みなさんの思いと、神に感謝いたしました。
今までの人生で、このような大きなアクシデントに遭遇するような事はあまりなかったのですが、今回の事ではいくつもの気づきがありました。
やはり年齢と共に反射神経が鈍ってきているという事です。
それに、これは収穫だったのは打撲の瞬間から一心に患部に気を送り続けると痛みが倍加し、その痛みに耐えながらも気を送り続けると、その後は痛みが消失する事がわかりました。
これは大きな収穫でした。
今まで永年の間、私は師というものについた事はなく、誰にも教えを請うた事はないのですが、常に自分の身体が師であり肉体に問いかけながら学んできました。
まさに今回もその実例です。
「禍転じて福となす」、転んでもただでは起きないという、生き方そのものでした。
気の世界というのは、日々の暮らしの中からほんの少し目を転ずれば見えてくるものがあります。
さあこれからやるぞーというように、構えなくてもいつもリラックスした精神状態で物事を見つめ続けるとまわりの景色、空気にも何かのヒントがあるかもしれません。
写真は先週大分の県道で、梅雨の真っ只中、降りしきる雨の中車で走行中まわりの山々の幽玄な世界に一瞬目を奪われ車をとめて窓を開けその姿をカメラに収めました。
雨にけぶる緑の山々の姿に異次元の世界を感じ、何だかとても心が癒され、しばし見入ってしまいました。
これも山々の自然が発する気なのかもしれません。