幸せ

満開の桜や、色づく山の紅葉を、この先いったい何度見る事に

なるだろう

ひとつひとつ 人生の扉を開けては感じる、その重さ

ひとりひとり 愛する人たちのために生きてゆきたい

 

長い旅路の果てに 輝く何かが誰にでもあるさ

 

これは、ある歌の歌詞です

 

毎年、春になって京都、鴨川のほとりで満開の桜を愛でながら

一献いただくのですが、いつもその時に思うのは

『ああー、今年も満開の桜を見ることが出来て良かった、さて後何回

見る事ができるかなあ』

 

若い時は思ってもみなかった事です。

これから寒い冬に向かい、それが過ぎると又、春が訪れます。

 

72年の人生で戦争も経験せず飢餓に苦しむ事もなく幸せな人生でした。

今年は新型コロナと言う、降ってわいたような禍に直面しました。

 

しかし、そんな中でも『空の会』という素晴らしい人たちに出会い

私は本当に幸せを味わっています。

 

こうして机に向かい教室のお一人お一人のお顔を思い浮かべながら

文章を書いています。来週は京都教室、その次は福岡教室です。

 

毎日、皆さんの健康を祈っています。

 

いつも、こんな心境でいたいものです。

老後の生き方

几帳面という生き方。

 

私の友人にあまり約束を守らないアバウトな人が何人かいます。

そして彼らは約束を守らない事に申し訳ないという自責の念など

あまり感じません。

いつもあっけらかんとしています。

勿論いい人であり私の好きな友人達です。

 

私はというと今までの人生を振り返ってみると1+1­=2  3+3=6

という人生を歩いてきました。

人と待ち合わせをしても待たせたことなど一度もありません。

しかし考えてみると果たして、その生き方が良かったのか最近自問自答しています。

自分に厳しいという事は相手にも厳しさを求めるという負の部分があり

言い換えてみれば面倒くさい人間なのです。

今までの人生を振り返ってみると本当に窮屈な人生でした。

40年近くホテルに宿泊してきましたがホテルに忘れ物を

した事などありません。

こういう生き方が認知症になるタイプだそうです。

漫画家の蛭子能収さんが認知症の初期だとテレビの番組で

やっていました。

私と同じ72歳です。

どう見ても几帳面な性格とはとは言い難い気がしますが

本当のところはどうなんでしょうか???

 

前出の友人たちのタイプは自分がアバウトな代わりに人に対しても

ゆるゆるな接し方なので一緒にいても大変楽な人達なのです。

自分が大らかな生き方なので他人に対しても大らかなのです。

こんな生き方が出来たらどんなに楽かなあと考えてしまいます。

 

沖縄の県民性に『なんくるないさー』という言葉があります。

 

つまり大らかなのです。

しかし、裏を返せばいい加減なのです。

 

果たしてどちらがいいのか分からなくなってきました。

 

いつも事務局のスタッフから『みんなブログ待ってますよ』とせかされると

本当は強制ではないけど書かなきゃと自分自身を追いつめてしまいます。

 

東京弁に『良いんだか、悪いんだか』という言葉がありますが

まさに、その通りです。

 

自宅にこもってると考える事がないので、こんな事を思いながら

一日が過ぎていきます。

 

今日はテレビで、おせちの予約をやっていました。

後三ヶ月で正月です。

 

『門松は冥土の旅の一里塚』

 

いつも暮れが近づくと、この言葉が頭に浮かびます。

 

 

2~3日前、朝玄関を開けるとお客さんが来ていました。

クワガタムシです。

こんな所にいたら踏まれるぞと庭の植木の中にはなしてやりました。

しかし不思議な事に翌朝、又二階の窓の網戸にへばりついていました。

よくみると前日のクワガタよりひとまわり小さく兄弟かなあと

思いました。

写真を撮るからじっとしてろと言ったらシャッターをきるまで

じっとしていました。

田舎の昆虫は真面目です。

 

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