前回、後継者という事をちょっと述べさせていただきました。
「後継者を求めておられるのですか」と、よく尋ねられます。
「いえ求めてもいませんし、探してもいません」と答えます。
すると「一代で消滅するのはもったいないではありませんか」と、
言われます。
剣道の理念には、『剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である』と、
謳っています。
まさにこれと同じで気も又しかりです。
気を習得する目的が営利を追及する為であったり、名声を追い求める為では、
目指す道からはずれてしまいます。
もちろん、人は霞を食って生きていく事などできません。
乗車券を購入しなくては電車には乗せてくれませんし、食券を買わなくては
食事ができません。
このように必要なものは必要なのです。
しかし、真面目にコツコツと地道な努力を重ねれば必ずその努力に値する
対価と名声が後からついてきます。
つまり追い求めるものではなく後からついてくるものです。
『気』という天から与えられた力と能力は人を愛し人を敬い命あるものすべてを
慈しむという崇高な精神と慈愛の心で大きく強く育まれていきます。
そしてこの力は分け隔てなく万人に与えられたものです。
このような精神と心を持った若者がいつの日か、私の目の前に現れたら私は
喜んでその若者に道をゆだねたいと考えています。
以前ある大学に行った時、たまたま後継者の話になりその時そこの先生が、
「後継者はうちの学生でどうですか」と、おっしゃられました。
もちろん、丁重におことわりしました。
人材派遣ではありません。
『気』の世界、習得するには何事にもくじけない強い精神力、あきらめない根気と
継続する力、そして慈愛の心、その他にも色々な事を学ばなければなりません。
もちろん、かく言う私とていまだ修行中の身であり道半ばです。
恐らく生涯目ざすところにたどり着く事はないでしょう。
しかし、最も大切なのは己を信じどこまでも追い求めていくという燃えるような
求道心がまさに求められるのです。
『欲深き人の心と降る雪は積もるにつれて道を忘るる』
こんな句が浮かびました。
今日の九州は強い春風が吹いています。
やっと開き始めた桜の花びらがこの風で吹き飛ばされないように願っています。